Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]
スポーツは、人生の楽しみであり成長。
昨日の自分より、明日はもっと輝きたい。
スキーヤー山崎 操
すっと伸びた姿勢に、日焼けした肌、デニムのセットアップ。
颯爽とした空気を纏って現れた山崎さんの雰囲気は、まさにアスリートに通じるそれだった。「ウェイクスキム(※1)を二年ほど前から始めたんです。トリックやジャンプなどの技を繰り出してスリルやチャレンジを楽しむスポーツでありながらケガも少なく、年齢に合わせて楽しく続けていけるスポーツかなと思って。」
そんなアクティブな山崎さんが、幼い頃から取り組んできたのはスキーだった。
才能が開花したのは大学時。当時は第一次スキ ーブームの真只中で、あちこちでスキ ー大会が開催されていた。その中でもスキー同好会のサンクチュアリともいうべきスキー大会「岩岳学生大会」があった。出場者は当時4000人にも上ったそうだ。
「大学進学後、早々6月に新歓合宿で大会に出場したのですが、その大会を見ていたスキーメーカーの専属コーチから『「岩岳学生大会」 で勝てる選手を育てるプロジェクト』に誘っていただきました。」それがスキーに本格的にのめり込むきっかけとなった。
「楽しくて仕方なかったです。辛い記憶といえば、手も足も霜焼けだらけだったこと。リフトも今よりは遅かったので片道30分くらいかかっていたんです。寝てしまって落ちたりする子もいましたね。」
※1 走行するボートの後方に生成される引き波にのるサーフィン。波に乗るまでウェイクボードの要領で船体からのばされたロープを引き、立ち上がり波に乗った後はロープから手を放す。ボードに固定されたブーツを履くウェイクボードとは違い、ウェイクスキムは素足でボードに乗る。
その後めきめきと頭角を現し、岩岳学生スキー大会にデビュー。アルペン競技(※2)の三冠王となって「岩岳の女王」の異名を取り一躍時の人となる。そこからインカレでスラローム・回転・大回転(※3)優勝、全日本、国体にも出場。順調に勝利を重ねていくこととなった。
「スタートが遅かった私は雪国出身の選手に比ベポテンシャルが高かったわけではないと思います。素晴らしいコーチに出会えたこと、そしてコーチが導いてくれた道筋、かけてくれたマジックがすごく良かった。実際に私は不器用で、すぐにできないからこそ反復練習を繰り返すいわゆる努力型。どうしたらできるかなって考えたり、エ夫することは好きでした。」
その後社会人になり、基礎スキーヘの転向を決断する。基礎スキ ーは言わば「技術を競う大会』。「大回り」、「コブ斜面」(※4)など項目ごとにジャッジマンが滑りを採点する競技のため、一人での練習時間が捻出しやすく、チャンスがあると感じていた。当時、「私をスキ ーに連れてって」という映画がヒットしたこともあり、基礎スキーが注目されるタイミングでもあった。
山崎さんはこちらでも花開く。 1988年、全日本スキー技術選手権大会で優勝、女子スキ―ヤーの頂点に立った。基礎スキーが美しさ、アルペンスキーがアグレッシプさを問われる当 時、そこに垣根はなく機能美=スピードということを表す先駆けとなった。
※2 斜面をいかに速く滑り降りるかを競う競技。滑降(ダウンヒル、DH)、回転(スラローム、SL)、大回転(ジャイアントスラローム、GS)、スーパーG(スーパー大回転、 SG)という種目がある。 ※3 アルペン競技の種目。 ※4 大回り:スキーにおけるロングターン コブ斜面:聖地されていない起伏のある斜面。
基礎スキーのデモンストレーターとして、日本のみならず海外での活動を経て、6年後現役引退を決意する。きっかけは夢であった、スキー学校の立ち上げだった。念願のSAJ公認のスキー学校をオープン、以来経営に19年携わった。
「振り返ると、教えて下さったコーチを始め、節目で人とのご縁に恵まれ、たくさん助けていただいた。本当に感謝しています。私自身が天才肌でなかったからこそ学んだことがたくさんあるし、これからもその経験をもって生徒さんのための処方箋をご提案できると思っています。」
2012年には会員制の「マイズスキーファクトリー」を立ち上げた。レッスン活動をメインに楽しみながら活動をしている。
そして、現在。オフシーズンにはウェイクスキムにチャレンジしている。スキーの筋力を維持するためにとはじめたが、JWBA東日本スーパークラスアマツアーで優勝する腕前にまで実力をつけた。
「成長する楽しみって、人生で大きなことだと思うんです。だからこそ年齢を重ねて、体力などのハンデが出てきたとしても、それに合わせて生涯スポーツを続けていくことが素晴らしいと思っていて。これからもスポーツを楽しみ続けたいし、それを皆さんにもお伝えしていきたいと思っています。」
そして、現在。オフシーズンにはウェイクスキムにチャレンジしている。スキーの筋力を維持するためにと始めたが、JWBA東日本スーパークラスアマツアーと全日本選手権でダブルで優勝する腕前にまで実力をつけた。
「成長する楽しみって、人生で大きなことだと思うんです。だからこそ年齢と共に、体力などのハンデが出てきたとしても、それに合わせて生涯スポーツを続けていくことが素晴らしいと思っていて。これからもスポーツを楽しみ続けたいし、それを皆さんにもお伝えしていきたいと思っています。」
Profile
山崎 操 Misao yamazaki
東京都出身、学生時代よりアルペン競技にて、インカレ、国体、全日本で活躍。基礎スキーに転向後、東京都女性初の全日本スキー技術選手権大会総合優勝。全日本デモンストレーター3期認定。女性デモとしては初のインタースキー日本代表となる。
SKINOWに出演、スキー、ウエアなど山崎操のシグネチャーモデルを通じて女性のための新しいライフスタイルの基盤を作る。
19年間のSAJ公認スキー学校長を経てマイズスキーファクトリー設立、今に至る。
現在は東京都スキー連盟所属・全日本スキー連盟スキー技術員。アトミックアドバイザー、デサントメイトとして幅広く活躍している。
親切で解りやすい指導、一人一人の特性を見出し上達に結び付ける指導テクニックには定評がある。
マイズスキーファクトリー:
https://mys-skifactory.net/