sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.21

様々な苦悩を乗り越え、
女子ラグビー界の顔が帰ってきた。

7人制ラグビー女子日本代表鈴木 彩香

7人制ラグビー女子日本代表 鈴木彩香選手にお話を伺いました。

女子ラグビーという戦い

リオデジャネイロオリンピックで、七人制ラグビーが正式種目として採用され、男女とも、日本代表の出場が決定した。強靭で鍛え抜かれた肉体を駆使し、怪我も厭わず力強く、泥くさく戦う…。ラグビーというスポーツをよく知らなくとも、そんなハードなスポーツという認識を持ち合わせる人は多いのではないだろうか。 小学二年生でラグビーと出会い、この過酷なスポーツを戦い続け、ついにオリンピアンとなるステージを目の前に引き寄せた女性がいる。
鈴木彩香、26歳。
その戦いは全て、小さな公園から始まる。

とにかく負けず嫌いな子供だった。ラグビーとの出会いは、横浜市鶴見区の自宅近くの小さな公園で、タグラグビー(※)を教える鈴木雅夫氏と出会ったのがきっかけだった。彩香がタグラグビーにのめり込むのにそう時間はかからなかった。放課後、学校が終わると毎日のように公園に集まり、練習に没頭した。この時からの幼馴染には、現日本代表の山口真理恵もいるという。確固とした自分を持つ彼女とは、この時からずっとラグビーへの気持ちを一緒にし、共に戦ってきた。お互いを意識しあう一番のライバルであり、女子ラグビーの歴史を築いてきた同志でもある。

そもそも、女子ラグビーを続けるということ自体並大抵の意思で務まることではない。常に怪我と隣り合わせであるスポーツというのはもちろんのこと、当時女子ラグビー部のある中学高校は身近に存在せず、全ては自分の意思だった。練習環境を切り開き、そして当然自分で自分を駆り立てなければならない。女子ラグビーを選ぶということ自体が、己との戦いだった。

※ タックルを、タグという飾り紐に置き換え、ルールを単純化したラグビーで、年齢や性別に関係なくプレイできる。

世界一を心に誓う

でも、だからこそ彩香はラグビーに魅了されたのかもしれない。今日より明日、明日より明後日…。挑戦し、意識的に動いただけ自身の成長を感じられた。超えるべき壁は高ければ高い方が燃える。幼少期、倒すべき相手はいつも男の子だった。中学に上がれば同世代にライバルがいないため、必然的に歳の離れた大人たちと戦う。厳しい練習に泣きながら取り組んだ。捻挫くらいの怪我ならば、今も怪我とは思わないし、意味のない弱音を吐くのも嫌いだ。

彩香は、自分のゴールを明確にするために目標を設定するという。それは、ラグビー選手としてのスキルアップのために、中学で入部した陸上部時代から続けている。最低→中間→最高と3ステップで目標を設定するのだが、当時陸上部キャプテンとして設定した、「県大会出場」→「県大会3位」→「全国大会出場」という目標は、全て達成したという。持ち前の運動神経と、着実に努力を重ねる意思の強さ、そのまっすぐな姿勢と発言が周囲を惹き付け、大きな渦をつくり巻き込む力は天性の才能なのだろう。

その後、ラグビーを主体とするため地元横浜の関東学院大学に進学した彩香は、第一回セブンス(七人制ラグビー)ワールドカップアジア予選日本代表に選出される。最年少だった。2試合目のタイ戦に途中出場した彩香は、タッチキックがラインを割らず相手チームにカウンターからのトライを許す。これをきっかけにチームは敗北。試合後、気持ちを押さえきれず泣きじゃくる彩香に、先輩達がくれたのは励ましと信頼だった。翌日の対戦相手は、日本が一度も勝ち星を上げたことのないカザフスタン。

©JSM

試合前、ゲームキャプテンの兼松由香が、円陣でこう声をかけた。「日本女子ラグビーの歴史を変えるぞ!!!」兼松の言葉にスイッチが入った彩香は、神がかったプレイでトライを決める。日本は結局、彩香のこのトライを守り抜き、15人制、7人制合わせてカザフスタンからの初勝利という歴史的快挙を遂げる。同時にW杯出場を勝ち取ったのだった。

しかし、初めてのW杯は悔しい結果に終わる。4戦全敗。世界の厚い壁にぶちあたると同時に、彩香はこう胸に誓った。女子ラグビーは、私が強くなって必ず世界一になるのだ、と。同年、7人制ラグビーが2016年リオデジャネイロオリンピックの正式種目に決まる。オリンピックを見据えたアジア競技会では、23歳以下の若い層のチームが編成される。実力も経験も未熟。そんな中、彩香はキャプテンに抜擢される。もともと責任感が強く、代表としての自覚も強い。彩香以外にはいなかった。それまで最年少として先輩達の背中を追ってきたが、担うことが180度変わる。先輩からの思いを受け継がなければならないという強い意志があった。確固たる気持ちで、きつい言葉で、チームに訴え続けた。

ちょうどその頃、キャプテンという肩書きや目を引くビジュアルから、彩香がメディアに取り上げられることも多く、更に責任を感じるようになる。周囲との温度差が生まれていく。気付けば少しずつチームとの溝ができていた。だんだんと孤立し、疲れさえ感じていた。広州アジア大会、準々決勝敗退の5位。満足いく結果を出すことが出来ず、彩香の中で張りつめていたものが切れた。キャプテンとしての責任を強く感じ、心はぼろぼろになった。

個の人間力と、続く逆境

彩香はこの時、尊敬する先輩である兼松由香にメールをしたという。「キャプテンとして自分が悪かったから、負けてしまった。」その時彼女から返ってきた言葉が、後の彩香に大きな影響を与えることになる。「チームが、選手が、人間としてどうだったのか?普段の生活から見直すことで、何かが分かるきっかけになるのでは?」彩香は、人として、自分がどうだったか、一から考え始めた。
キャプテンだからという驕りはなかっただろうか、人として、恥じることはなかっただろうか…。何度も問い続けた結果、行き着いた結果はこうだった。“人として、もっと中身を伴おう。最後の最後は、個の人間力なんだ。”そして、まっすぐ前を向いた。1つの転機だった。

しかし、この後追い討ちをかけるように彩香は最大の挫折を味わうことになる。チームの新体制編成に伴い、日本代表選考に落選したのだ。ずっと第一線を走ってきた彩香にとって初めての挫折だった。「女子ラグビーといえば鈴木彩香」ともてはやされるることも多かった中、なぜ今、私が?という強い不満と共に、自暴自棄になり、自分を見失いかける。しかし、そんな時でも行き着く先は一つだった。ラグビーが大好きだということ。逆境は彩香にとって、ラグビー選手としての自分自身を見つめなおし、成長するきっかけだった。自分に足りないことは…、やるべきことは何か。ひたすら走りこむ日々が始まった。パフォーマンスを更に上げた彩香は、次の大会で代表復帰を遂げた。

彩香の戦いは続く。2013 年、第二回目のセブンスワールドカップがロシアのモスクワで開催となり、前回に続き出場権を獲得した日本代表は、健闘するも一勝もあげられないまま大会を終えた。中核となってチームを率いてきた彩香は、深く責任を感じると共に、全てを喪失するような思いに囚われる。ここまでやってきたことは何だったのか。過酷な練習は…。もっと自分が違っていれば、チームは結果を出せたのではないか。信じていたことは正しかったのか…、スタッフは…チームメイトは…。まっすぐな情熱と負の感情が交錯し、自分でも気持ちを持て余すようになる。考え抜いても、答えはでなかった。このままではラグビーを嫌いになってしまう。彩香にとっては、ラグビーを嫌いになることほど後悔を感じることはない。

複雑な気持ちを抱えて、鬱々としていた彩香を待っていたのは更なる試練だった。風邪をこじらせたのを発端に、扁桃炎が悪化する。扁桃腺がはれ上がり、2週間の高熱が続いた。その後も、少し練習をすると途端に熱が上がるようになる。悪夢のようだった。「ラグビーはもうやるなということなのだろうか・・・。」誰にも理解されない孤独を感じる。二度の入院の後、扁桃腺を両方切除する手術を行った。回復にそこから4ヶ月という長い期間を要し、ようやくと思われた矢先、今度はクラブチームでの試合で、右足首の捻挫と甲の損傷をおこす。決して平坦な道は待っていてはくれない。なぜ、私だけが…。前に進む自信を失いかけていた。

強くならざるを得なかった

更に3ヶ月、リハビリに要することになった彩香は、否応なくラグビーから遠ざかることになる。けれども、どんなに辛くても、ラグビーから気持ちを離すことはできなかった。時間が経つにつれて、環境や、自分以外の人に向いていた矢印が自然と内に向き始める。強くいなければならないと思い続けていた自分を少しだけ開放すると、遮断していた、周囲の人達への感謝の気持ちが溢れてくるのを感じた。家族や仲間たちはいつも、彩香を支え、見守ってくれた。前向きにリハビリを続けていた彩香に再度、代表召集がかかるのはこの頃だ。一度は断った代表だが、求められるならまた戻りたい。そう素直に思った。

しかし、神様は彩香に決して平坦な道を用意してはくれない。練習生として代表に戻った矢先、練習試合で左膝全十字靭帯の断裂という大怪我を負う。落胆の気持ちは大きかったが、今までと違ったのは不思議と喪失感がなかったことだ。身体をもっと強くしろというおぼし召しかもしれないとさえ思えた。幾多の試練を経験し、知らず知らずのうちに強くなった彩香は、自分の広い人生の通過点にすぎないともうぶれなかった。

2015年1月に怪我を負ってから、手術、リハビリと、11月のオリンピックアジア予選に向けて焦点を合わせるのは容易いことではなかったが、何とか間に合わせた彩香は痛みを押しながら代表出場。最終日、日本は通算4勝1敗で決勝進出。宿敵カザフスタンを下しついに優勝を遂げる。オリンピック出場を手にした、待ちに待った瞬間だった。

大いなる目標へ

試合後、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、共に戦ってきた仲間やスタッフを見つめ彩香は幸せに包まれていた。やっぱり、どんなことがあってもラグビーを嫌いになれない。ラグビーが大好きだ。覚悟を決めた。勇気を知った。越えなければいけない壁が、強さとは何なのか教えてくれた。嬉し涙も、苦し涙も、こらえた涙もたくさんある。まっすぐにしか進めないせいで、傷だらけになりながらがむしゃらに突き進んだ日もたくさんあった。

あの小さな公園でタグラグビーと出会った時、彩香にその後こんなストーリーが待っているなんて、誰が想像しただろうか。オリンピックはもう目の前なのだ。高校3年生で初めて日本代表に選ばれた時から、ずっと同じ目標を目指してきた。あの頃とは環境も大きく変わり、個人として求められることも変化したが、目指す目標だけは変わらない。『ラグビーで世界一になること。』そのためには、成長し続けなくてはならない。後に続く女子ラグビーの歴史のためにも、ラグビーを始めている子供たちの夢が、大きく花開くためにも。本当にいろんなことがあったけれど、ラグビーと出逢えて良かった。心からそう思える。今までもこれからも、自分の思うままにまっすぐに走り続けるだけだ。

Profile
鈴木 彩香 Ayaka Suzuki

小学3年生の時、タグラグビーを始める。翌年、本格的にラグビーに転向。2010年U-23で編成された香港ウィメンズセブンズではキャプテンに任命され、名実共に7人制、15人制の両方で日本代表の中心選手となる。スタンドオフ・センターとしてチームを牽引し、女子ラグビーの若きリーダーとして競技の普及にも尽力している。

女子ラグビー 鈴木彩香オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/ayaka-suzuki/