sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.40

マウンテンバイク界の女王
好きを極めた
その人生とは。

MTBライダー未政 実緒

photograph / Hiroyuki Nakagawa
text / Rika Okubo
Episode1

「遊ぼう。」と勇気を振り絞って言ってみても、出るのは蚊の鳴くような声。誰にも気付いてもらえず、外に出るのも苦手、今の姿とは想像もつかないくらい内向的な少女、それが末政実緒だった。
全日本選手権ダウンヒル17連覇という偉業を成し遂げたマウンテンバイク界の女王は1983年、兵庫県神戸市に生まれた。
小学校に行くのを嫌がる実緒を、5歳離れた姉が引っ張るように連れ出すのが日課だったそうだ。
実緒が人生で初めて興味を持ったもの、それが自転車だった。アウトドア好きの父の影響で8歳からトライアル(※1)をスタート。競技のビデオはいくらでも見ていられるほど実緒にとって魅力的なものだった。父の帰宅と共に、近くの公園で一緒に練習するのが日課となった。できなかったことが、続けていくうちにある日突然できるようになる。その瞬間、言い表せない喜びを感じた。実緒の才能はすぐに開花する。9歳にしてトライアルの全日本ジュニアクラス優勝。負けるのが大嫌い、出来ないことがとにかく悔しい、そんな実緒の性格を、今思えば両親はうまく導いてくれたと思う。中学に上がると世界を視野に入れて活動を始めた実緒は、1996年、1997年に世界選手権ジュニアクラスシリーズ連覇を遂げる。まさに破竹の勢いだった。

※1岩や丸太、斜面等の自然地形や、人工の構造物で作られたコースを、足つきや転倒なく走行出来るかを競う競技。

Episode2

1998年、高校進学と同時にダウンヒル(※2)に転向した実緒は、自転車のサイズや機材の違いという物理的な点はもちろん、静から動に変化した競技性に苦労しながらも、徐々に頭角を現し始めた。トライアルで培った持ち前のバランス感覚が光った。
ダウンヒルは、集中力を高め、無心の状態でコースを駆け抜ける瞬間が何よりも快感だった。深く集中すればするほど、視野がぐんぐん広がっていく。周囲の状況がはっきりと見え、ミスへのリカバリーすらうまくいく感覚が不思議だった。 2001年、ついに実緒はダウンヒルでも世界選手権Jrクラスを制する。これを機に、アメリカに拠点を移し、世界を舞台に転戦することを決断。2002年に同部門のエリートクラス(※3)に転向、トレック社という巨大スポンサーを得て、弱冠19歳の戦いがはじまった。
フォークロス(※4)やクロスカントリーの世界チャンピオンを有するスター揃いのトレック社のチームで最年少だった美緒は、大人のチームになじむため、四苦八苦の日々を送っていた。語学がままならず、ついつい内気になってしまう自分に、幼少期の引っ込み思案な自分の記憶を重ねてしまうこともあった。もちろん辛いことばかりではない。素晴らしい出会いの1つに、チームメカニックのギャリーとの出会いがある。ギャリーは美緒にとって海外の父親とも言えるほど世話になった存在で、競技はもちろんのこと、チームとのコミュニケーションや、生活、移動のサポートまで手を尽くしてくれた、感謝してもしきれない存在だ。
ギャリーがメカニックとして帯同した2004年、フランス、レ・ジェトで行われた世界選手権で美緒は遂に準優勝に輝く。日本人選手として初の、マウンテンバイク世界選手権メダル獲得という快挙だった。

※2マウンテンバイク競技の一種で、山に作られた急斜面のコースを高速で下りタイムを競う競技。
※3マウンテンバイクレースにおける最高峰カテゴリー。
※4マウンテンバイク競技の一種で、斜面につくられた起状に富む人工コースを4人で同時にスタートし、障害物をクリアしながら順位を競う競技。

Episode3

フォークロス部門でも各年度ワールドカップ総合3位という結果を出すなど、順調にキャリアを重ねていた実緒だったが、そこから世界選手権優勝を自分に課した戦いを続けることになる。日本に拠点を戻し、更なる高みを目指すための環境作りや、日本からビジターとして海外へ参戦することの難しさに直面していた。
そんな中、新しいスポンサーの決定やプライベートでの結婚を経て、実緒は新しい挑戦を決める。クロスカントリー(※5)への参戦だった。ダウンヒルは3分~4分を集中し戦う競技なのに対して、クロスカントリーは1時間以上をかけて身体にむち打ち、戦い抜かなくてはならない。真逆な競技性をどう解消し、勝つか。どちらも結果を残したいというモチベーションがむくむくと沸き、実緒の心に火をつけた。
フィジカルの調整と同時にマインドすら全く違う2つの競技に戸惑うこともあったが、実緒は幼い頃の感覚を思い起こしていた。できないことを日々試行錯誤していくあの感覚。どうしたらできるようになるのかを考える工程、結果に繋がらなかった時の反省、そして結果に結びついた時の喜び。全てがとにかく楽しくて仕方がなかった。実緒は新しく得た夫というチームパートナーと共に、2013年には全日本準優勝。2014年にはクロスカントリーの世界選手権にも参戦を決めた。

※5 周回コースを一定距離(4㎞程度)走り、ゴール順を競う競技。

Episode4

快進撃は続く。2015年、2016年には二年連続でダウンヒル・クロスカントリーを共に制し、実緒は全日本マウンテンバイク競技のダブルタイトル獲得という前代未聞の結果を叩き出した。ただただ自転車に乗るのが楽しくて、走って走り続けた結果、いつの間にかこんなところまで昇りつめていた。
2017年11月には、女児を妊娠出産。半年後には、道も新たに母として練習を再開した。身体の質も体力も大きく変化した自分を、元の感覚に戻していくのではなく、新しい自分として向き合うことが求められることを切に実感した。容易な道ではなかったが、それでも2020年のオリンピックを視野に入れ一歩一歩進み始めた。骨折や環境の変化、そしてコロナ禍…。難題は多々あったが、2020年の全日本選手権を競技生活の一区切りにすると決め、美緒は最後まで走り切った。結果としてオリンピックは叶わなかったが、最後まで応援してくれているファンや家族のために末政美緒として走り切ることができた。

末政美緒がマウンテンバイク界で残した功績は偉大すぎるほど偉大で、なかなか後進に塗りかえることができないだろう。8歳から、37歳。この長く、研ぎ澄まされるような競技生活を改めて振り返れば、ただ単に好きというモチベーションだったのだと思う。好きでなければこうして動けなかった。
この、自然と一体になれる、日常を忘れて楽しめるスポーツをこれからも変わらず楽しんでいくつもりだし、当たり前のように愛していくつもりだ。最後に美緒はそう語った。

Profile
末政美緒 MIO SUEMASA

自転車競技マウンテンバイクダウンヒル、フォークロスおよびクロスカントリー選手。
2004年世界選手権ダウンヒル2位、全日本選手権ダウンヒル17連覇、
UCIマウンテンバイクワールドカップフォークロス部門2003年2007年2008年各年度総合3位、
2015年2016年全日本クロスカントリー優勝。